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第81話 「クールビズ」に想う

日本の梅雨時から夏にかけての気候は高温多湿で、ネクタイを締めて背広の上着着用のスタイルは、忍耐を通り越して時にはこっけいだとかねがね思っていたから、今年、政府の音頭とりで始まった「クールビズ」はせいぜい利用をと考えたが、意外に難しいことが解ってきた。この種の習慣変更はみんなが一斉に始めないと難しいし、得意先を訪問するとなると、あわててネクタイを締めるなど、二重生活をしている様なもので、どうもスッキリしない。

たまたま旅行中に買った「Yウィークリー」に「1000人の女性にきくクールビズ」という調査結果があり、半数以上の女性は「さまにならない」という厳しい評価を具体的に下している。ではどうすれば「さまになるか」というアドバイスも答えており、来年以降も続けた方がよいという回答が80%を超えている点は、われわれ男性側も少し考えた方が良さそうだ。そこで。

背広を着てネクタイを締めていれば紳士――いわば包装紙で相手を評価するような今までの考え方を少しづつ変えていっては。クールビズにしても相手に不快感を与えない工夫をしてみては。「女性は、男性の夏冬関係ない厚着にあわせた空調のオフィスで冷え性や風邪を患っています。」という声にも耳を傾けるべき。

第80話 ホテルの鴨の異変

9話と56話で紹介したホテルの池へ毎年飛来する鴨は、春から夏にかけて旅人の心をなごませてくれる一服の清涼剤だが、今年はその鴨に異変が起こったのである。

一昨日朝食のときに、池に鴨が一羽だけ泳いでいたので支配人に「なぜ?」と聞いて見たら、先日となりの神社の山から忍び込んできたヘビにやられてしまい、一羽だけ残ったとのこと。そのヘビは白蛇で従業員も追い払うことに留めたそうだ。その気持ちも分からないでもないが、毎年忘れずに飛んでくる鴨はなんとも可哀想なことだ。

さて、来年の飛来がどうなるのか。

第79話 戦争と平和 – 8月15日に

夏休みこども科学相談なる番組を車の中でラジオで聞いていたらこんなのがあった。

「蜂はなぜ黒い服の人を狙って刺すのですか」小学校4年生だが、これに答える専門家は「良く知っていましたね。黒い衣服が狙われることは事実です。だからミツバチの業者は作業のときは白い服を着ますし、蜂の巣を除去する作業も必ず白服なのです。しかしなぜかはほんとのところ分かっていません。一番有力な説は人間が現れる以前、熊に巣が襲われることが多く、そのことで黒いものを見ると攻撃することが本能のなかに組み込まれたのではということです。」

数日後新聞で読んだ生命科学者柳沢桂子の「人間はなぜ戦争をするのか」という記事には、「類人猿の時代から暴力を振るっていたという歴史がある。これは集団としてのメンバー同志特別な感情を持ち、外部の人間に対して攻撃的になりやすい。(内集団、外集団偏向)これがDNAに組み込まれているのでは。なぜ人間は戦争をするのかについては、DNAまでさかのぼって深く研究して見る必要がある」

しかしである。神戸の地震の際、だれに命令されるでもなく若者がボランティアに馳せ参じたのは、人間本来の困った人を見ると助けようと思う本能的な行動だと読んだことがある。これまたDNAの為せるところか。同じようなことだが、2年前イスラエルとパレスチナのこども数人ずつを東京に招き1週間を過ごさせたが、「僕たちはすぐ仲良くなれる。大人は何故憎みあうのだろうか」

人間の本能、DNAの中には、闘争を好むものと、平和を好むものとが共存しているのかも知れない。言い換えると利他と利己が共存していて、その時々どちらかが勝ると正反対のことが起こってしまう。これをコントロールしているのが「規範」「良識」であろう。そしてそれを醸成するのが、教育ではなかろうか。

第78話 ささやかな贅沢か

目の前に出される料理の量が多いと私の食欲はとたんに落ちてしまうのである。せっかく一生懸命に作ってたくさん食べてもらいたいと提供する立場を考えるとまことに申し分けない事だが、そうなってしまうから致し方ない。

そういえば似たような記憶がいくつか思い出される。山口県のある川の上流に鮎料理の店があり、シーズンではあるし意気込んで出かけたはよいが、背ごし、酢の物、味噌汁、佃煮、てんぷら、鮎飯などなど、まさに鮎ずくしなのである。これでもかこれでもかと続くと途中でお手上げである。

正月に出かけた九州の温泉宿では食卓一杯に並べられた皿数は14くらい、見ただけでゲンナリとなってしまう。いずれも提供する側はおいしいものをたくさんそろえる事が”サービス”のつもりだろうが、もう少しなんとかならないものだろうか。

胃袋が小さい私はカレーを頼むときに「ご飯は半分」、ヒコーキでも「ウーロン茶半分」などといってみるが、殆ど無視されてしまう。先日機内で「ウーロン茶4分の1」と言ってみたら「これくらいでいかがでしょうか?」と3分の1にしてくれた。自分でも少し嫌味かなと思うが、これがささやかな贅沢なのである

第77話 李登輝いまの日本を憂う

台湾の前総統李登輝が最近の著作「武士道解題」の中で「国際社会全体が不況と不安に晒されているときに、最も頼りになるべき国のひとつ(日本および日本人)まで混乱と混沌の中を漂流し続けていたら、人類社会そのものが羅針盤を失いかねない」と書いている。彼がこれほどまで日本と日本人を買っているのは、日本に生まれ台北高校、京都帝国大学に学び、新渡戸稲造ならびにその著「武士道」の影響を大きく受けているからであろうが、心から日本を愛しそしていまの日本を憂えて、やむにやまれず筆をとったという心情がこの本の随所に溢れている。

「いま日本を震撼させつつある学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にもかかわりかねないさまざまなネガティブな現象も、「過去を否定する」日本人の自虐的価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。」

日本の歴史と文化を十分に理解し、海外から冷静にいまの日本を眺めた上での、日本人に対するアドバイスと受け取ってよいのではないか。

「数千年にわたって営々として積上げられてきた日本文化の輝かしい歴史と伝統が、60億人余の人類社会全体に対する強力なリーディング・ネーションとしての資質と実力を明確に証明しており、世界の人々からの篤い尊敬と信頼を集めているからです。私自身が日本の教育の中で豊富な知育と徳育を授けられ、それを通して知識や智慧に目覚め、「人間いかに生くべきか」という根本的な哲学や理念を身につけてきたからこそ、なおのこと、この人類史的危局の中において必要とされている「日本の心」の大切さを、思い起こさずにはいられないのです。」

思い出したことがある。2~3年前、世相を憂える有識者のテレビ座談会で、いまの日本を救う指導者にだれがいるかの論議の末、最適任者は「李登輝」であったことを。

第76話 自動化のプラスマイナ

 オーストラリアの幾つかのホテルに泊まってみて気がついたのは、バスタブにオーバーフローの孔がないことである。過去何回かのときも全く同じ思いをもったが何故だろうか。オーバーフローの孔がなければ、お湯を入れるときどうしても慎重にならざるを得ない。床にまで溢れさせては大変なことになるからである。このことは加えて節水にも繋がるであろう。
 
 昨今なんでも自動化の時代、トイレに入れば自動的に電灯が点き、便座に座れば自動的に水が流れ、洗濯機に洗濯物をほうりこんでボタン一つですべて終わる。
 
 自動化は「自分で気をつける」「目分量で決める」などの学習効果を退化させているのかもしれない。自動化はたしかに便利で合理的だが、問題の本質をだんだんわからなくしてしまい、人間としての生き方を見失うことにもならないかと、シドニーで考え込んだことである。

第75話 葉っぱビジネスで村興し

「ひとりごと」を10ケ月も休んでしまった。そろそろ再開しよう。

 四国の僻地の山村での話である。
もともとみかんの産地であったが、台風の大きな被害とその後の価格下落でみかんの栽培ができなくなり、ほかの産業もなく、耕地も少なくて若者は町へ出てしまい、65歳以上が50%という過疎の村である。

  農協の職員の1人がこの村でできることを一生懸命に模索した結果が、刺身の”つま”と山の”葉っぱ”を結びつけることであった。

  焼き魚にはもみじの、しかもいろ鮮やかな朱色はどういう品種のもみじと言う具合に原料探し、新しい品種のもみじ栽培へと年々高度化してゆくが、それはお年寄りが興味を深めて自ら考え行動してゆくらしい。お弁当にはさくらのつぼみの小枝になにかをくくり付ける二次加工まで加わり、提供できる商品品種はいまでは何百種とか。

  もともと山村ゆえにお年寄りも山へ入るのはお手のもの、扱うものはいとも軽いし、原価はほとんどただに近い。80歳を超えた人がパソコンで売れ筋の商品を探し、自分の毎日の売上実績をチェックしているさまはまさに驚きである。

  勿論前述の職員ひとりがデータ管理を引き受け、大都市の市場との販売交渉をしているらしいが、お年寄りの中には年間売上数百万円というのもある。

  もっと驚くのはみんな生き生きしているのと、村で寝たきりの老人は2人しかいないということである。

 これは5月2日の夜のテレビ番組で見たばかりのことだが、学ぶべきことは大変多い。」

第74話 転落の歴史に何を見るか

 「戦前の帝国陸海軍の転落の歴史から、同じ官僚組織にいる現在の行政マンが何を学ぶべきかという問題意識から出発した。だが、その旅は、組織論的なヒントをつかむといった次元を超えて、日本社会の底流に触れ、歴史のうねりというものにまで及ぶこととなった。」

  著者がはじめに述べているとおり、日露戦争とノモンハン、太平洋戦争の戦史比較から学ぶべきものを探し、今の日本にどう役立てるかという視点で書いているが、不透明な日本の行く末を考える上で大きな示唆を与える。

  例えば奉天会戦では当時世界一のロシア陸軍に対して、劣勢の日本陸軍は馬、砲、兵の総合力を発揮して勝つことが出来たが、34年後のノモンハンでは、ロシアが奉天の教訓を生かして日本軍を破るが、日本は教訓を生かすことが出来なかった。真珠湾で大敗を喫したアメリカはこれからの戦争は航空機主流と肝に銘じ建造中の戦艦も急遽航空母艦に改装する手を打ったが、日本は逆に海軍の主流派は大艦巨砲主義から脱しきれなかった。種々の要因はあるが、明治のリーダーのような「ジェネラリスト」が居なくなったことが大きい問題だと著者は指摘している。著者斎藤健氏は通産官僚からいまは内閣の行政改革企画官だったと思う。

ちくま新書2002年3月発行

第73話 ブランド志向その2

 食品製造加工での品質認証制度といえばHACCPで、これはISO9000などよりさらに厳しい制度ときいているが、雪印食品の事件が明るみに出てみると、HACCPは一体なんだったのかと言うことになる。
  安易にブランドを信用しているとこんなことになってしまうのだが、さてそれではなにを信用して行くのか。
  一つ一つ自分で確かめてかからなければならないが、手間を考えると大変なことだ。

第72話 号令社会と40年体制

 このごろ「号令」をかけられて行動することが、気にかかってきた。お葬式では葬式業者が「合掌」しばらくして「礼拝」といかにも厳かそうに号令をかけて、会葬者もなんの不思議もなく一斉に行動を起こす。昔のお葬式にはこんなしきたりはなかった筈で、一体いつ頃からこんなことにしてしまったのか。いいピアノ演奏とか、いい講演のときには自然に拍手が沸いてくるものだが、司会者はここで「もう一度拍手を」と号令をかけてくる。二度拍手しないと失礼になるとでも思っているのかと、つい思いたくなる。

  先年アメリカでロデオの会場へ美女が馬上ゆたかに星条旗をかかげて入場してくると、広いグラウンドの観客席は入り口から順次立ち上がって行くではないか。波が伝わるように立ち上がるさまはみごとで、日本では号令をかけなければ出来ないことだと感じたことを昨日のように思い出す。

  立花隆の論文「日本国の1940年体制」は戦争遂行のために経済も政治も「お上」の統制下に置いた行動様式が、戦後の効率的な復興に役立ったものの、いまだにこの考え方が頭の中にまで染み付いていて、号令がかかることを待っている姿が多いらしい。そういえばわれわれの日常周辺にもその事例をあげることは容易だ。

  いろいろ事情があるのかも知れないが、すくなくとも「哀悼」とか「感動」の表現のときには号令をかけてもらいたくないものだ。

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