オーストラリアの幾つかのホテルに泊まってみて気がついたのは、バスタブにオーバーフローの孔がないことである。過去何回かのときも全く同じ思いをもったが何故だろうか。オーバーフローの孔がなければ、お湯を入れるときどうしても慎重にならざるを得ない。床にまで溢れさせては大変なことになるからである。このことは加えて節水にも繋がるであろう。
昨今なんでも自動化の時代、トイレに入れば自動的に電灯が点き、便座に座れば自動的に水が流れ、洗濯機に洗濯物をほうりこんでボタン一つですべて終わる。
自動化は「自分で気をつける」「目分量で決める」などの学習効果を退化させているのかもしれない。自動化はたしかに便利で合理的だが、問題の本質をだんだんわからなくしてしまい、人間としての生き方を見失うことにもならないかと、シドニーで考え込んだことである。
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