今回は、祖父の生きざまを記した闘病記『駿河臺の頃』に触れる事にしました。私にとって尊敬に充分値する存在であり、私が経営者になることを決意した大きな要因にもなったからです。『駿河臺の頃』は祖父が帝人東京勤務在勤中の昭和11年から3年間敗血症を患い、東京駿河台にある三楽病院での闘病生活の様子と、その後昭和16年に広島へ転勤後、書かれた物で、時には生々しく、時には逸話や小説のように、そして随所に支えていただいた方々への感謝が書かれている自伝です。
私の祖父川妻卓二は広島市中区で次男として生まれ育ち、広大付属から早稲田大学を卒業後、鈴木商店(のちの帝人)へ勤めて東京の中野に妻と長女(麻布の東洋英和からのち広島女学院を卒業後、女学院で教職に就くが被爆死)、長男(子供の頃は丈夫な体の持ち主であったようだが、広島管財創業後まもなく肺結核で若くして病死)、次男(私の父川妻二郎である。子供のころから気難しく親をよく困らせていたようであると書かれてある)と暮らしていました。(親馬鹿の記より)
当時、敗血症は命が助からない病で、手術までの間、想像を絶する痛みと高熱続きで生死をさまよい自分の命を助けるために脚を股から切断するという選択をしたようです。なんと全身麻酔を頼んでいたにも関わらず、局所麻酔で手術を受けることになりその様子を克明に記しています。その後、何のわだかまりもなく「本当にさばさばしたよ」と何度も書かれているのを見て、なんと強い精神力、そして気持ちの切り替えの素晴らしさ。想像を超える苦難を乗り越えてきたからこそ、のちに経営者として88歳まで生き抜いてきた気力の源泉はこの闘病生活からきていると確信しました。
祖父は観察力といいますか洞察力といいますか解りませんが『三楽病院』と言う病院名の由来も孟子からきていることを事細かく調べたり、看護婦さんの白衣や頭にかぶるキャップについてもその時代まだ珍しく、その光景をユーモアたっぷりに表現しています。
当時としては珍しい輸血についても書かれています。今でこそ輸血のストックがありますが、日本で初めての輸血は大正8年からだそうです。祖父も41回輸血を行い、そのころその病院での最高記録保持者であったようです。当時は苦学生たちがお金を稼ぐために献血をしていたようですが、何れにせよその方たちのお陰で命をつないで頂いた事は確かです。
また松葉杖の上手な使い方についても表現豊かに描かれ、私が子供のころから見ていた、祖父が松葉杖を脇に挟み一本足で立ちながら、現場から戻ってきた社員一人一人を労いながらお給料袋を両手で手渡すのもきっとこのころから試行錯誤していたのだろうと想像してしまいました。私の覚えている祖父は行動範囲が広くない分、多くの書物から情報収集を行い、とても物知りだったと記憶しています。のちの広島管財の仕事の中でも全国に先駆けて広島で創めた学校警備(昭和40年ごろから平成19年まで)も祖父の情報収集で始まったことを私は何度も聞かされてきました。
祖父はこの本の最後に『幸福というもの』と題して書いています。これだけの体験をしたからこそかもしれませんが、幸福とは「ふと目の前を掠めてゆく鳥影のようなもの」「手術後口にした味噌汁が身に沁みて旨いと言った瞬間」またある時は「美味いコーヒーをゆっくり味わっているその時幸福と言う瞬間を覗き見た」と記しています。日常の何気ない中に幸福はあるのかもしれません。
元来、文章を書くことが好きであった祖父が社員へ宛てた『他山の石』という社内報もありました。自分が大病をした経験からかいつも3年先分まで書いていたようです。私は経営者になるかどうか悩んだ時期にこれらの書物すべてに目を通しました。もちろん孫という立場から見ていた祖父は背も高く、いつもズボンの片方をベルトに通してきれいに折りたたんだ状態でビシッと格好よくスーツを着こなし、洋食とワインが好きなハイカラな人でした。そんな華やかな面しか知らなかった祖父の別の面をこれらの書物から知った私は、祖父が興した広島物産(昭和29年)と広島管財を何としてでも引き継がねばと強く思いました。当時専業主婦であった私に何ができるのかは分かりませんでしたが、同じDNAが流れていてそのバトンを受け継がなければと強く感じました。私にはまだまだ修行が足りていませんが、祖父の底知れぬ強さと人一倍感謝する力、そしてどんな時にもプラスに捉える精神力。私もそれらの少しでも持ち合わせていれば思います。私の人生の師であり大好きは祖父です。この度このように振り替える良い機会を与えて頂きました事に感謝いたします。
最後に祖父の座右の銘 『人生妙味あり』
私の人生も妙味を味わいながら生きていきたいと思います。
上記はある経済紙から依頼を受けた原稿です。創業者の強い思いのこもった広島管財について皆さんにも知っていただきたいと思い、この度の社内報とさせていただきました。私たちは、令和初のお正月に相応しく創業の精神を忘れず受け継ぐ気持ちを新たにしたいと思います。来年もよろしくお願いい致します。