夏休みこども科学相談なる番組を車の中でラジオで聞いていたらこんなのがあった。
「蜂はなぜ黒い服の人を狙って刺すのですか」小学校4年生だが、これに答える専門家は「良く知っていましたね。黒い衣服が狙われることは事実です。だからミツバチの業者は作業のときは白い服を着ますし、蜂の巣を除去する作業も必ず白服なのです。しかしなぜかはほんとのところ分かっていません。一番有力な説は人間が現れる以前、熊に巣が襲われることが多く、そのことで黒いものを見ると攻撃することが本能のなかに組み込まれたのではということです。」
数日後新聞で読んだ生命科学者柳沢桂子の「人間はなぜ戦争をするのか」という記事には、「類人猿の時代から暴力を振るっていたという歴史がある。これは集団としてのメンバー同志特別な感情を持ち、外部の人間に対して攻撃的になりやすい。(内集団、外集団偏向)これがDNAに組み込まれているのでは。なぜ人間は戦争をするのかについては、DNAまでさかのぼって深く研究して見る必要がある」
しかしである。神戸の地震の際、だれに命令されるでもなく若者がボランティアに馳せ参じたのは、人間本来の困った人を見ると助けようと思う本能的な行動だと読んだことがある。これまたDNAの為せるところか。同じようなことだが、2年前イスラエルとパレスチナのこども数人ずつを東京に招き1週間を過ごさせたが、「僕たちはすぐ仲良くなれる。大人は何故憎みあうのだろうか」
人間の本能、DNAの中には、闘争を好むものと、平和を好むものとが共存しているのかも知れない。言い換えると利他と利己が共存していて、その時々どちらかが勝ると正反対のことが起こってしまう。これをコントロールしているのが「規範」「良識」であろう。そしてそれを醸成するのが、教育ではなかろうか。