皆さんは、コミュニケーションについて考えたことありますか?誰しもこの世の中、人と交わりコミュニケーションを取りながら生きています。よくコミュニケーションとは、言葉のキャッチボールをする事だと言われていますが、その前段階としてより良い人間関係を築く事が大事です。「自分の思いが伝わらず何となくギクシャクしているなあ」とか、「自分の考えを理解してもらっていると感じる事ができずに仕事が面白くない」等感じたことは皆さんあるはずです。でもそんな時、もしかすると「自分という物差し」で相手を見ていませんか?「自分は正しい」「自分は間違っていない」「相手が間違っている」という自分の物差しです。私が子供のころ父からきつく言われていた事に「絶対という言葉は使うな」言うことでした。「絶対」とは早々あるものではないし、確証がない事が多いからという理由でした。誰しも神様ではないのですから間違いや思い違いという事だってあります。そんな時に「自分の物差し」を振りかざすことで実は自分で自分の首を絞めてしまう事になり兼ねません。自分の言葉を正当化するため益々意固地になってしまい、さらに関係性が悪化するパターンです。意外と自分で思っている自分像と周りが見ている自分像には大きな開きがある場合が多く、そんな時に理解してもらえていないと感じるようです。その溝を上手に埋める事ができる人がより良い人間関係を構築できている人なのかもしれません。社訓の中にある「ひとの恩を忘れるな。謙虚な気持ちで感謝せよ」という気持ちを持ち続けることがとても大切と思います。何歳になっても教えていただきたいという謙虚な気持ちを持っている人は誰から見ても尊敬に値する人が多いです。そういう人からは「ありがとう」の言葉が絶えず出てきます。しかし、そういう人が自分の周りに居ても「自分の物差し」を主張し続けていればその人とのつながりさえもスムーズにいくはずがありませんし、自分の人生楽しいはずもありません。自分を客観的に内省できる力と、時には「ごめんなさい」と謝る勇気も必要です。それらを想定した物言いを日ごろから心がけることがコミュニケーションを円滑にすすめる極意の一つかもしれませんね。
そしてもう一つ社訓から「誠実こそわがモットーであり、宝である」とあるように正直者でいることです。嘘の上塗りで雪だるまのようになって苦しむより、正直に生きていくことの方がどれだけいいか。正直な人には正直に付き合おうという関係性が生まれてきます。ちゃんと人は見ていてくれます。「お天と様(神様?)は見ています」。嘘をつけばいつか罰があたるかもしれませんね。
コロナ禍だからこそ人との関わりを大切に、そして自分の人生を充実した時間にしていきましょう。