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《社員ブログ》「ユーティリティプレイヤー」2017.2①

ビルメンテナンス課 兼 統括課 の寺本です。

 今回久々に書かせて頂く事もあり、とても長いブログになりますが、最後まで読んで頂けたら幸いです。

 私、去年の2月にセリーグの監督が全員40代という、ブログを書かせて頂いたのですが、優勝したのは何と、前評判を覆して広島カープでした!!
圧倒的な強さで他チームを突き放し、独走状態で広島の地を盛り上げてくれました。昨シーズンは本当にカープのチーム力が良かったですね。ベテランと中堅、若手の結束力が素晴らしく、監督・コーチ・スタッフを含め、チーム全員で勝ちを重ねた結果でしょう。
 
 さて、野球というスポーツに限る事ではないのですが、チームには色々な役割を任せられた選手達がいます。
 レギュラー、控え、ワンポイント…、色々な選手が力を発揮して、勝ちという目標に向かって試合をするのですが、その中でも私が一番好きな役割があります。

 『ユーティリティプレイヤー』
 
 レギュラー選手の場合、守るポジションが固定されている事が多いですが、控え選手の中には自身の出場機会を増やす為、またチーム事情などで複数のポジションを守れる準備をしておく事があります。内野(ファースト・セカンド・サード・ショート)と外野(レフト・センター・ライト)の複数ポジションを守れれば、ユーティリティプレイヤーと呼ばれます。日本ハムの大谷選手のように、ピッチャーと外野の二刀流はプロでは異例ですが…

 いわゆる『便利屋』と呼ばれる役割ですが、私が大好きな『ユーティリティプレイヤー』を紹介します。

 故・木村拓也 選手

 広島・巨人で活躍した、誰もが認める名ユーティリティプレイヤーです。
 木村選手の名が世間に知られたのは、2004年アテネオリンピック野球日本代表に選出された時でしょう。長嶋茂雄監督率いる長嶋ジャパンの一員として銅メダルに貢献しました。
 当時、日本代表メンバーが発表された時、長嶋監督が各チームのスター選手と共に指名したのが、木村選手でした。広島に在籍しており、セリーグ球団のファンは木村選手を知っていましたが、あまり野球に詳しくない人達は、
「きむらたくや!? キムタク!?」
 中には、SMAPのキムタクかと間違えてしまう方もいたとか、いないとか…
 
 木村選手は、1990年にドラフト外で日本ハムにキャッチャーとして入団したのですが、プロとしては小柄だった事もあり、一軍での出場機会には恵まれませんでした。1992年に自信のある肩の強さと、足の速さを活かす為、外野手へ転向し1994年には一軍で83試合に出場します。そのオフに広島へトレード、内野外野どこでも守れる選手として、レギュラーの座をつかみます。

 長嶋監督は、巨人の監督時代に敵チームながら木村選手の良さに惚れ、オリンピックという短期決戦で勝つために、必要な選手として指名したのでしょう。ペナントレースと違い、短期決戦は登録選手が限られますし、アクシデントなど不測の事態に備えないといけません。実際は、木村選手の出番は2試合だけでしたが、裏方としてチームを色々な形で支えたそうです。
 
 順風満帆な選手生活かと思いきや、この年、椎間板ヘルニアを発症し、以降は若手選手の台頭、新監督の起用法などが重なり、思うような成績が上げられなくなってしまいます。
そして、2006年シーズン途中で、巨人へトレード。
 本人としては、
「試合に出たくてトレード志願したのに、移籍先が選手層の厚い巨人か…」
 
 しかし、モチベーションを落とさず、移籍後すぐに一軍へ上がり結果を出します。どんな環境でも、自分の役割を明確にし、そこで他の選手に負けなければ、チャンスは必ず巡ってきました。
 
 140試合以上の長いリーグ戦になると、必ずチームの中で負傷者や調子の悪い選手が出てきます。控え選手や二軍選手にとって、その時こそ自分をアピールできるチャンスなのですが、当時の原監督が常に起用したのが木村選手でした。その期待に応えて、結果を出し続けます。控えとしてベンチにいても、試合が終盤で接戦になり、木村選手が残っていれば、監督として選手起用策の幅が広がります。事実、原監督は「今年タク(木村拓也選手)がいなかったらと思うと、ゾッとしますね」とインタビューで答えています。

 キャッチャーとしてプロの世界に入り、出場機会を得るため外野手へ転向し、両打ち(右打席・左打席)になり、内野ならどこでも守れるよう練習し、常にどんなチャンスでも掴めるよう、『ユーティリティプレイヤー』として準備をしてきました。
 
私が一番、印象に残っている試合があります。

2009年9月4日 巨人対ヤクルト戦 11回裏 同点 巨人の攻撃
 途中出場の加藤選手(キャッチャー)が打席で頭部にデッドボールをうけて、その場に倒れました。そして、ベンチ裏へ運ばれたまま負傷退場となり、代わりに別の選手が一塁へ代走として向かいます。当然、観ている側は慌てます。なぜなら、控えのキャッチャーがベンチに残っていないからです。望みは11回裏の攻撃なので、1点でも取ればサヨナラ勝ちで試合終了。
 しかし、ファンの声援空しく、0点に終ってしまいます。
 球場のムードはざわついていました。「誰がキャッチャーやるの??」
 心配するファンが見守る中、キャッチャーマスクとプロテクターを付けた選手が、フィールドに出てきます。
「守備の交代をお知らせします。 キャッチャー 木村」
 場内アナウンスが響いた瞬間、球場は大歓声に包まれます。強張りながら笑顔を浮かべる木村選手が、ホームベースに立っていました。
 自身、公式戦でキャッチャーを守るのは、10年ぶり。それでも、自分にしか出来ない、自分に任せられた役割を全うしなければ。この時のために、いつも準備をしてきたのだから…
 ものすごいプレッシャーだったと思いますが、3人のピッチャーをうまくリードし、見事0点に抑えます。ファンの大歓声と拍手に包まれながら、苦笑いでベンチに引き揚げる木村選手を、原監督は満面の笑みで肩を抱いたのが、今でも私の脳裏に焼き付いています。
 
 実は、加藤選手が頭部にデッドボールをうけた瞬間、誰に言われるでもなくキャッチャーミットを借りてブルペンに走り、リリーフピッチャーの生きた球を捕球しながら、準備していたそうです。

 この年、惜しまれながらも長い現役生活に終止符を打ちます。ですが、
「日本一の内野手を育てる」
 そんな次なる目標を掲げ、巨人のコーチに就任し、キャンプでは笑顔でノックをする木村コーチに、チームの雰囲気も明るくなりました。

 2010年4月2日 広島対巨人戦 MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島

 試合前のノック練習中、木村コーチは突然意識を失い、そのまま病院へ緊急搬送されました。
クモ膜下出血と診断され、意識が戻ることなく何日も生死をさまよう木村コーチに向けて、球場では広島・巨人の両ファンから、現役時代の応援歌が熱唱されましたが…
 2010年4月7日 37歳という若さで、多くのファンに愛されたまま、搬送先の病院で、静かに息を引きとりました。

 毎年100名近い選手がプロの世界に入り、同じ数だけ去っていく、厳しい世界。

 僅かなチャンスを掴もうと、ライバル達がひしめく中で、謙虚に自分の可能性を広げる事が大切だと、どんな事にでもチャレンジする事で、歴史と記憶に残る『ユーティリティプレイヤー』として活躍した、木村選手。

 引退した後、新しく入団してくる選手達の合同研修会に講師をして、こんな話をします。

 ドラフト外で入団して、決して期待された選手ではなかったが、19年間プロの世界で飯を食う事ができた。
 一つの転機として、若い時にハワイのウインターリーグで、イチローと同部屋になり、野球に対する姿勢を見て、自分の甘さに気づかされた。この厳しい世界で生き残る為に、とにかく自分の可能性を広げる事が、自分の生きる道なのだと…

 25年ぶりの広島カープ優勝を、天国から笑顔で喜んでくれているでしょうか…

 さあ、最後は2017年も広島カープの活躍を願い、私の愛娘(2歳)歌って頂きましょう、応援歌“それ行けカープ”です。

 どうぞ!!

「か~ぷっ か~ぷっ か~ぷっひろっしま ひろし~ま か~ぷ~♪
 
 それで~ ぽっこちゃ~ん ぽっこちゃん ぽっこちゃん ぽっこちゃ~ん♪」

 ぽっこちゃんて誰…?
(もう少ししたら、ちゃんと歌えるようになると思います^^”)

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