広島管財ブログ

第72話 号令社会と40年体制

 このごろ「号令」をかけられて行動することが、気にかかってきた。お葬式では葬式業者が「合掌」しばらくして「礼拝」といかにも厳かそうに号令をかけて、会葬者もなんの不思議もなく一斉に行動を起こす。昔のお葬式にはこんなしきたりはなかった筈で、一体いつ頃からこんなことにしてしまったのか。いいピアノ演奏とか、いい講演のときには自然に拍手が沸いてくるものだが、司会者はここで「もう一度拍手を」と号令をかけてくる。二度拍手しないと失礼になるとでも思っているのかと、つい思いたくなる。

  先年アメリカでロデオの会場へ美女が馬上ゆたかに星条旗をかかげて入場してくると、広いグラウンドの観客席は入り口から順次立ち上がって行くではないか。波が伝わるように立ち上がるさまはみごとで、日本では号令をかけなければ出来ないことだと感じたことを昨日のように思い出す。

  立花隆の論文「日本国の1940年体制」は戦争遂行のために経済も政治も「お上」の統制下に置いた行動様式が、戦後の効率的な復興に役立ったものの、いまだにこの考え方が頭の中にまで染み付いていて、号令がかかることを待っている姿が多いらしい。そういえばわれわれの日常周辺にもその事例をあげることは容易だ。

  いろいろ事情があるのかも知れないが、すくなくとも「哀悼」とか「感動」の表現のときには号令をかけてもらいたくないものだ。